笠嶋所長の音楽療法色々Vol.1 1〜10 Vol.2 11〜20Vol.3 21〜30 Vol.4 31〜40Vol.5 41〜50 Vol.6 51〜60Vol.7 61〜70 Vol.8 71〜80Vol.9 81〜90 Vol.10 91〜100Vol.11 101〜110 Vol.12 111〜120Vol.13 121〜130 Vol.14 131〜140Vol.15 141〜150 Vol.16 151〜160Vol.17 161〜170 Vol.18 171〜180 |
トンカラリン情報その31 本日埼玉にある医科大学の看護短期大学で音楽療法の講義をしました。 看護師さん達にも音楽療法の理解と患者様にたいする音楽の使い方を知って欲しいと思いました。 学生さんは100人いました。 学生さんは非常に熱心に聞いてくださいました。 しかし、20歳くらいの音楽を専攻していないみなさんがどんな歌を知っているかなというのが気になりました。 使用した曲は、ふるさと、桃太郎、花咲爺さん、桜井の別れ、異国の丘 旅の夜風、鉄道唱歌、箱根八里 紅葉でした。 その中で歌えたのは、ふるさと、桃太郎 紅葉 でした。花咲爺さんは詩が面白いと皆さん笑っていました。 その他は知りませんでした。 箱根八里はお手玉回しをいれましたら、遠くの人と投げあったりして非常に会場が笑いの渦となり、青年らしい表情になりました。 しかし歌は歌えませんでした。 その他 トーンチャイムでふるさとをGで演奏するようにしました.一組20人くらいでしましたら、譜面が読めて、立派な「ふるさと」となり、その辺は、今の人達の実力をしりました。 私の学会発表「滑脳症児3歳男児」のビデオをも見てもらい、 実際のセッションの様子がわかったようでした。 音楽療法の有効性を信じますか?と質問しましたら「合点合点」と首を縦に 振っていました。 音楽療法に興味をもってもらえたら幸せなことだと思いました。 平成18年 11月21日 川越にて その32 何かの行動がまとまるとコンサートができます。 学院では、実習対象児の演奏発表会をしていますが、本年(18年)のクリスマスコンサートでは15人の子供達の演奏が披露されました。 担当の学生は卒業年時と、専門1年生と2つの学年に渡りましたが、学年が上に上がるほうが、児童の演奏に個性が表われ、勉強している内容がやはり違うのだと納得しました。 ステージに上がる子供さんを客席から見ている、親御さん学校の先生がたは、ハンカチを手に涙されている姿が多くありました。 「健気に生きる」「喜びをもって生きる」「笑顔で演奏」などは多くの人々に感動を与えます。 音楽療法が、役に立っていると実感できるひとときでした。 その33 音楽療法士の難しさについてですが、大きな要素で不安との戦いがあります。 特に実践の取り組み始めでは、多くの学生が混乱します。 松井紀和先生の理論でいえば、自己愛から他者愛に移行する不安です。 実際にどうなるかというと、「自分の力が、足りないので、対象者の変化が起こらない」 という考えになってしまうのです。 その時問題になることは、「自分はもっと出きる」という考えです。 自分に対する評価が厳しいつまり「こんな私ではないはず」ということなのです。 しかし良く考えると「対象者の役に立つ」という原点に戻ると 主役は対象者で、「出来ないとする私」とは違うのです。 ここに考えが及ぶと自分という枠から離れられるのです。 お分かりでしょうか? 「己を捨てる」かな。 平成19年 1月18日 川越にて その34 音楽療法の難しさ 先日、井上ウイマラさん高野山大学の助教授)「スピリチュアルケア」のお話を聞きました。 音楽療法では「自己愛」から「他者愛」に移行するのが非常に難しいということをいつかこの欄でお話ししましたが、このことをウイマラ先生(元お坊さん)からお聞きしました。 それは「自分が呼んで欲しいように人に呼んでもらう」というロールプレイで、自分を大事にするというものでした。自己愛は簡単には習得できないし、またそれが他者愛になるというのも大変なことです。 それをやり遂げないとセラピストにはなれないというものです。 どうしたらそうなれるかの答え、あるいは、学習の仕方を教わりました。 ウイマラ先生は音楽療法士の育成に興味をお持ちでしたので、ご希望の方がありましたら当研究所でも講習会を開きたく思いました。 20人くらい集まりましたら実行します。 研究所のパソコンメールで希望をお知らせください。 07年 2月22日 君津、研究所にて。 その35 音楽療法の難しさ 音楽療法で難しいのは、どう仕事場を探し、どう収入を得るかということです。 苦労し、一人前になるかという仕上げに、どう就職できるかということがあります。 私は10年にわたり、川越で音楽療法士の育成の仕事をしてきました。 全国からの学生にさまざまな指導をしてきました。 しかしこの3月に常勤を辞して、非常勤で勤務することにし、君津に戻ってきます。 そこで、新しくし現場の開拓をすることにしました。 教える仕事は千葉医療福祉専門学校の作業療法科で「特講」という枠でやらせて頂けることになりました。それは、4コマ程度のことですが、車で10分程度のところで指導ができるのは、うれしいことです。作業療法の学生さんに、音楽療法の有効性を説明できるのはいいことです。もうひとつは兼ねてからいっていた福井市の仁愛短期大学の音楽科のなかの音楽療法の非常勤です。集中講義で年間4回ほどいきます。 さて新しい現場開拓は、ひとつは君津市の教育委員会に働きかけています。 君津では、不登校生のいける支援センターがあります。教育相談のセンター長さんと色々お話させていただき、私がそこで、お役に立てるのはどうなのかの相談をさせて頂ました。4月になりましたら、どうなるか決まるはずです。 以前から、市長、教育長、にもご理解をいただいているところです。 役に立てることができれば、うれしいです。また報告します。 2007年 3月 11日 シマ写真にて。 その36 君津に戻りまして、暫くぶりに前にお付き合いしていた方々にお会いしました。 10年の歳月は、色々変わるものです。精神科の患者様の「しらゆり」さんは,病院を退院なさって、お身内が始められた、作業所にいっていらっしゃいました。私が電話をかけてお話ししましたらやはり動揺していました。 埼玉に行く時に無理やり修了にしてもらいましたので、ずっと気になっていたのですが、すぐに仲好しに戻るのは難しい状況でした。 しばらくはこのままにしておこうと思いました。 また成人知的障害重度の方の施設には、私のかわりに研究所の所員の八角とか学院の卒業生などに頼んでいましたので、私がまたいくことにしました。 もう30代になっている方や40代になっている方、新しい方もいましたが、10年もたっていて、しかも重度の男性ばかりでしたが、私を覚えていて下さった方もありました。なんだか涙がでてきました。音楽のつながりは深いのだなとうれしくもあり、感動しました。 なんとか君津市で音楽療法の仕事をしたいと考えているところですが、仕事は君津市以外ばかりです。5月からは君津市の支援センターで始まる予定ではありますが。とりあえず「5月13日の音楽お楽しみ会」頑張ります。 その37 君津に戻りまして、2ヶ月が過ぎ、ようやく何かが落ち着いてきました。 仕事を探す話ですが、講師の仕事は、東京国際音楽療法専門学院、福井の仁愛女子短大音楽療法担当 千葉福祉医療専門学校特講 の各非常勤講師です。 特に4,5、、6、月は毎月福井ですので、ちょっとしんどいです。 6月埼玉の「ミニハート」という講座で講演です。 7月には会津の高齢者セミナー。 また7月末には松井先生の山梨のセミナーで「音楽療法士臨床指導についての考察」というテーマで発表します。 8月には、「高齢者施設職員の為の音楽療法」のテーマでセミナーを参加者募集中です。 あまり出足がよくなく、田舎でのセミナーは難しいかなと思っていますが、頑張ります。 9月 北海道音楽療法学会です。10月は芸術療法学会です。 ということで勉強、講師家業が毎月あります。 川越、福井、会津、北海道 東京が4ヶ月の間にあります。自分ながらすごいなあと思います。 兼ねてよりの君津市の不登校生の音楽療法は、5月にデモセッションをしました。 まだお話は先に進みませんが、いい話になるように心待ちにしています。 その他、成人重度2施設、マザーズ、高齢者などが大体月1で入ります。 ろんろん荘のセッションが所員の八角が産休にはいるので3ヶ月ほど入ります。 一番多い仕事が自宅の発達障害児のセッションで月3回です。 研究の「統合失調症のリズムの研究」がまた新しい形で出発できるかも知れないという段階です。 平成19年6月1日君津にて その38 君津市の教育委員会の「きみつメイト」で不登校の支援センターでのセッションが始まりました。中学生で月に2回というのが、私に下さった現場です。 今まで学院で学生の指導として、4,5人の方の経験があります。 それで、そういう場所に出向いてこれる人はもうだいぶ気持ちが整理されていることになることを知っています。 息子も立派な不登校児でしたので、なんとか皆さんにお役に立ちたいとお話しして、セッションが始まりました。 使った楽器は、トーンチャイム ギター(不可) オートハープ 和太鼓 竹 お手玉です。 歌唱は「大きな古時計」のみ。 現在 出席率は半分くらいです。 君津市の仕事(内容はボランテア)で初めてなので、張り切っています。 その39 先日こんなことがありました。 以前に行っていた施設に5年ぶりくらいの復活セッションをしました。 それまでは弟子の2人が私に代わってやってくれていました。 その施設は、非常に、熱心な施設で色々な形で高齢者のみなさんに喜んで頂くような活動が盛んです。 2回目のセッションを終了後、事務長から、「笠嶋先生でない方をお願いしたい」と言われました。「なんのことか?」とおもいましたが、良く聞くと近頃の制度で「音楽療法の費用が少なくなった」という理由でした。 私が弟子の後に行うというはけして良いやり方ではなかったということが判明しました。 事務長はさぞかし私に言いにくかったとおもいますが、そういうことでした。 しかも入所のかた方は以前私のフアンクラブの皆さんはほとんどいらっしゃらないことになっていました。 仕方なく、もう一度弟子の長谷川(当研究所所員)にお願いし出来ない部分は学生実習の場で了解をもらいました。 私は精神科のリズムの研究が毎週はいることになったので、東金(浅井病院)まで通うことになりました。 やはり高齢者施設の件はこれで良かったのでしょうか?残念な気持ちもあるのですが。 2007年8月5日 君津の研究所にて。凄いお天気の日。 その40 北海道で日本音楽療法学会がありました。 学会員はみな参加しなければいけないのですが、台風が私たちと同時に北海道へ行きましたので、大変でした。キャンセルを余儀なくされた人もいました。 そこで、基調講演がありました。 基調講演では日本の学問的最先端が講演されることが多いのですが、本年は「音楽療法の研究の仕方」が主なるテーマでした。 バーバラ・ウイラー教授(女性)のお話が私は大変興味がありました。 ひとつは先生の研究例題として、「学生の指導」に関する研究が紹介されました。 私も本年7月に日本臨床」心理研究所(松井紀和所長)のセミナーで「音楽療法士臨床指導の考察」というテーマで発表しましたが、ウイラー教授と同じような研究でした。 しかし、米国の研究システムと私が取り組んだ方法とでは雲泥の差がありました。 とても良い勉強しましたし、本格的に取り組む気が起こってきました。 もうひとつ興味があったのは、「最重度の方のセッションに接する時のセラピストの楽しみ」を分析するものでした。「一人称の研究」で、自分がどう感じたかの研究です。 現在私は「袖ヶ浦」と「大宮」で、重度の方々のセッションをしていますが、楽しみというかやりがいというか「声にならないメッセージ」を受け取り日々感激しています。 何かが変化するというものではありませんが、嬉しいのです。 このような体験を研究できるのなだと思いました。 以上学会報告です。 ちなみに「統合失調症患者のリズムの研究」も取り組んでいます。07、9,13君津にて |