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笠嶋所長の音楽療法色々

Vol.1 1〜10 Vol.2 11〜20

Vol.3 21〜30 Vol.4 31〜40

Vol.5 41〜50 Vol.6 51〜60

Vol.7 61〜70 Vol.8 71〜80

Vol.9 81〜90 Vol.10 91〜100

Vol.11 101〜110 Vol.12 111〜120

Vol.13 121〜130 Vol.14 131〜140

Vol.15 141〜150 Vol.16 151〜160

Vol.17 161〜170 Vol.18 171〜180

Vol.19 181〜

トンカラリン情報

その111

音楽療法 の学校がなかなかうまく いかない様子があります。
ミュージックセラピスト協会では 資格取得者 が少しづつ 仕事が増えていきます、それの 要因として、年齢があるのではなかろうか と思っています。

20歳 前半 で 若い人には 結構荷 が重いのではないでしょうか?

協会では 20台の会員もいますが 多くは50代です。

50代の 人は 人生 経験 が多くあり、傷つき 体験、喪失体験 子育てなどの多く の体験をもっています。

 
それを乗り切るのに 音楽 が役立った 経験があり、様々な人との音楽体験を共有することの意味 意義を 感じています。

自分が音楽を 一緒に することで、 「お互い豊かな時間をもてる」というのは体験してみると 非常に 幸せなこととして 感じられます。

つまり 自分 が人の役にたつ という・・・自己実現を 体験するからです。

ここに 若い方 より 人生経験者のほうが 音楽療法向いている要因があると思います。

 

     平成26年 56日 先月川嶋章子さんがなくなりました。残念な日

 


その112
イベント

わたしの勤務する 東金の浅井病院では 「はんてん木祭り」という 大イベントがあります。

私達の行っている音楽療法ではいつも 患者様の音楽活動と披露しています。
本年もしました。

病棟は6つの部署でしています。

様々な 状態の方々 が演奏します。

本年はベル演奏も2つ ありましたが、各病棟の看護師さんも駆けつけ大勢の方が集まりました。

 

本年は重度の 方に参加が多く 感激でした。

参加の 予定者 が 病状によりますので、なかなかつかめず苦労するところでありますが、隔離室からの 参加もあり嬉しいかぎりです。


リハビリ部長の御支援 作業療法科長の応援で無事に終わりました。
凄くつかれましたが いい日でした。

 

          今年は体調管理がうまくいっています。 平成26522


その113 

グーチョキパー について

音楽療法の多くの現場で グーチョキーパー の活動がおこなわっれていると思われます

ミュージックセラピスト協会役員 で 東金の浅井病院 音楽療法講師の竹内和美さんが この活動について いくつかのの現場での 効果について論文に纏めました。

多くのクライアント が喜んで この活動 が受け入れられているのには 理由があるとおもいますが、特筆するべきは、対象者でなく スタッフ 、職員 なども皆さん がやっていることです。


近頃では NHKの テレビでも あるいは 医療番組でも グーチョキーパーがおこなわれているのです。

手先の運動 と脳の関係  あるいは頚椎の障害検査でも 関係があるといわれています。

以前から音楽療法で行われていた活動 が今ごろ取りざたされていて なんだか鼻が高い気がします。

       アジサイが咲いている、うっとおしいお天気です。平成266517日に。


その114 

セッションの 仕事としての注意として

ご承知のように セッションは疲れます。
うまくいくと 参加者はどんどん増えてきます。

伴奏 して 参加者の 様子を観察して プログラムを考えます。

そうして 雇い主に 報告します。あるいは 報告書を提出します。
それで 初めて 金銭が派生するのですよ。

これはどんな現場でも 同じですが 報告の方法は 現場の環境によって変わると思われます。

児童の場合は 保護者が納得いけばよいわけですが 、これには 音楽的説明と発達上の説明が必用となります。
これは結構大変で、障害についての医学的知識も必要です。

原則 は対象者がどれくらい 楽しんで 喜んでその日が価値ある日になっているかですが、それが 雇い主にとっても 意味あることが大切です。

だから 私達の疲労は 多くなり、その分 費用を頂戴することに なります。

皆さん 体調に気をつけて 頑張りましょう。

           明日は台風だそうです。 平成26年 710

   


その115 
先日私の研究所の音楽発表会をしました。

発表者は 私の教室の生徒
セッションを行っている 八幡台音楽療法の会に皆さん

研究所職員の金ケ江恭子の小さい生徒さんミュージックセラピスト協会の皆さん

研究所職員 の石飛礼子 率いる バンド リバーストーン&研究所職員知念康利そして 演歌愛好の方3名 バンド で 与作など

本当に多彩なプログラムでした。

私の生徒では 下関から 木村力君が母親と共に参加・・・みんな驚きました。

   

お客様で なんと 音楽療法をやって欲しいというかたが見えました。

近々 この辺で、施設を開設なさるそうです。
発表会はいいものです。
みなさんも是非やってください。

      

        息子の奥さんもドライアイが分かり、涙もでて 疲れやすいそうです。

     なんと薬も 同じでした、いくらつけてもいいと教えてくれてありがたいです。

          誕生日で注文した 食べ物も 私と同じうなぎ

          なんだか 嬉しくなりました。

                平成268月 16日  おぼんの送り火の日に。


その116

感動した話

 
私は以前 埼玉の自主グループで仕事をしていました。

君津から三時間 かけて 埼玉に月に1かいから 2回通っていました。

それは クライエントが私を望んでくれたので、頑張って行っていました。

しかし 体力のつき こちらの仕事も増えて ついに 終了となったのですが、

先日 お母様から 本当に嬉しいお手紙を頂戴しました。

 

それは 行動が難しい 重度の自閉の Aさん(とします)現在22歳の男性ですが, Aさんが  母親 施設職員 の並々ならぬ 努力で 「大変な改善が見られた」

というお手紙 と専門雑誌にのった記事が送られて きたのです。

私はそれをみて本当に涙がこぼれました。

次回から少しづつ そのご苦労を紹介します。

 

                なんともはっきりしないお天気の日 平成2698


その117

A君のこと

A君は私が埼玉県のある施設の1室で セッションを行っていたのはもう、4,5年前の

コトでした。
 A君は落ち着きない 多動 で 破壊的 ですが 顔がなんとも 素敵な自閉の 高校生でした。 支援学校でも 先生方がいろいろやって下さってはいましたが、、難しい人でした。
いつもお母さんが一緒ですが、私の セッションの参加時間 がとても少なく、部屋を飛び出す ことが多いのでした。 にこにこ笑って 悪いことをするという感じでした。

今でいう強度行動障害児というタイプでした。

 
帰りの車に乗るとき はいつも 靴を放り投げていました。

私は セッション料金を頂くのが とても心苦しい思いでした。

 

    本日はとてもいいお天気の日に 音楽療法学会で名古屋にいってきました。

                        平成26930日に。 君津で。

 


その118

A ママからの手紙

あれから随分たち 突然 Aママからお手紙を頂きました。
手紙
ご了解を得たので 紹介します。

「職員から 掲載してもいいですか?という問い合わせに戸惑いを感じると共に迷いもありましたが、同じような方々が元気と希望をもつから、といわれ、嬉しい気持ちもありOKしました」
ということが最初にかいてありました。

そうして 「全国障害者問題研究会」出版 「みんなのねがい」 2148月号に掲載されることに なったそうです。

いろいろ 怪我をしたり 二階から飛び降りたりとか あったのに、大おごとにはならず、職員さんの根気強い対応にとても感謝しているそうです。

因みに 「笠嶋先生のセッションも作業所で働く基盤になっていたと思っている」という文もありました。

次回は」あざみ共同作業所の 小田修市先生の 文章を紹介します。

              台風が多いのです。 平成26109日 


その119

A君のお話し

全国 障碍者問題研究会出版「みんなのねがい」 より

あざみ共同作業所小田修一先生のお話

仲間たちが楽しもしている、年に一度の11泊旅行にA君が安心して参加できるか悩みました。

お母さんから「欠席します」と言われ、、もうこのような悲しい思いはさせないと決意しました。

 

まず私は冒頭この言葉でもう心をうたれました。

それは先生の並々ならぬ決意に 凄いと思いました。

続きはまた今度   パソコンを新しくして練習している日に

                 平成26年11月3日

  


その120

あざみ共同作業  小田修一先生のことばより

A君の受け入れについて 職員で真剣に議論して、受け入れ決定した。
その当時はA君は 座っていられず、泣き叫ぶ、物を投げる、まわりの人を叩く、突き飛ばす など問題行動があった。

そのために 他の人が耐えられるかどうか しんぱいであった。

 

しかし 3年たった時 クラスの仲間と仲良くできるようになった。
長い目でみれば。頑張って 仕事ができるようになると信じて支えていこうと考えました。

 

   作業の1年目は職員とみんなはもがき苦しみました。

   ・・・・・・・・・{いろいろ苦労あり省略・・・涙笠嶋}

   作業所のドアが壊され 夜中に職員が修理するような。

  

A君がみんなが楽しみにしている一泊旅行につれていけるか職員一同悩みました。

 

    本日はここまで、 平成26年11月17日