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笠嶋所長の音楽療法色々

Vol.1 1〜10 Vol.2 11〜20

Vol.3 21〜30 Vol.4 31〜40

Vol.5 41〜50 Vol.6 51〜60

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Vol.19 181〜

トンカラリン情報

その1
 音楽療法の色々を綴りたく「トンカラリン情報」を始める事にしました。「トンカラリン とは一応音を音をイメージしてつけてみました。
本年平成16年に私は日本音楽療法学会の「評議委員」になります。選挙で選ばれました。私は音楽療法の建設的発展の為に是非私の意見を言いたいと思い、「評議委員」を希望しました。色々な方にお願いをして選出して頂ました。

本年で音楽療法を始めて23年になろうとしています。そして音楽療法士を育成する仕事を始めて8年目を迎えています。

音楽療法にますます大きな力を感じ「様々な人々」にとって「役に立つ」という体験を私はしてきました。それらを是非多くの人の伝えるというのがこれからの仕事だというように思っています。これから音楽療法を勉強しようという方から就職はありますか?と質問を受けますが、私は 役立てばお金はついてくる物と考えています。

結果としてお金にならないのは「音楽療法」として成り立っていないのではないかと思います。だから仕事になるように一生懸命努力し勉強して精進するものだと思います。   やればやるほど惚れ込み勉強してしまうのが「音楽療法」といってもいいと思います。

だから評議委員になってこの天職を発展させたいと考えています。
04,1,25 川越にて スゴく寒い日  ではまた  


その2

音楽療法を勉強したいという方が私の勤務している東京国際音楽療法専門学院に沢山電話をかけてきます。どんな人々が音楽療法の道にすすむのかご存知でしょうか。

一つは音楽大学で音楽を修めた人たちです。
それも、演奏家として活躍したいのではなく音楽を役に立てたいという気持ちをもって目指してきます。しかし実際の問題として自分の演奏を聴かせるという事だけではないので、自分の演奏がどのように役にたっていくのかを勉強していく事になる訳です。

また、音楽をやっていて、仕事は違うところにいったが、やはり音楽を役立てたいと思っている人。近頃はこのような方が増えています。
こういう方の勉強は趣味であった音楽で勝負する力をどうつけるかになります。

若い人は高校卒業してすぐ、上の方は人生上の経験を生かしてもう一度勉強しようとしている方(50代)までいます。


就職を第一の狙いにしている人々にはこの仕事は「金もうけ」できるものではありません。と言っておきます。
そして「実力」がつけば仕事はあります。とも言っておきます。

とりあえず、卒業できるように頑張っていただかなくてはいけません
04,2,11晴れ  川越にて本日休み 


その3

詩人君のこと

詩人君は20歳いを少し超えた時に学院へ見学にきました。
少し遊び人のようなラフな感じのする青年でした。
彼が言うのには、「今まで外国を回っていたのだ」とのことでした。
しかし音楽家のようには見えませんでした。

経歴を聞くと電気の高校出身でそのまま電気の会社に就職をしたが人生が腑に落ちず音楽療法を目指したいと言いました。

一応男子でもありますので御両親は賛成していますか?と尋ねるとしばし答えがなくそのうち様子が変なので気をつけて見ると、密かに涙を流していました。

このように音楽療法の道に入った彼は自分のこと、父親のこと音楽のこと、自分と関わりのある多くの人々のこと、に深い洞察をもって接する勉強をするようになりました。

次回はもうすこし詩人君のことをお伝えしましょう。
04,2,17、  春のような暖かい日に学院にて


その4

詩人君は学院に入学する前からしばしば相談の電話を私の所にかけてきました。
それは人生相談のようでもありましたが、とりあえず学費をどうだすかというのにしぼらていきました。詩人君はなにやらぐたぐたと言葉を並べた詩も良く送ってくれました。
それは「海の中にいる」というような詩でありました。
彼の内面を表していますが余りにも多くの言葉がつづられていますので焦点がボヤケテしまうのです。
その内就職が決定し学院に目出度く入学しました。
就職は身体障害者療護施設でした。そうして音楽療法の勉強と障害をもっていらっしゃる方々とのお付き合いと二つが同時に始まりました。
この時点で彼はセラピストの修行としていくつかの試練のチャンスを自分のものにしました。
1 自分の事を文字にして見ること
2 実際障害のある方の心身ともの様子を間近に研修できる場をもったこと
3 そこの場で多くの他業種の指導が受けられたこと
4 私という話を聞いてくれる人(私は教師)を得たことです。
このように自分を育てる環境を自分で作れるのも才能ではないだろうか
04、2,29, うすら暖かい日に


その5

東京国際音楽療法専門学院には、通信科があります。

多くの指導者が通信で音楽療法士の教育は不可能だと言っております。

しかし当学院ではすでに8年目を迎えようとています。

そしてこのシステムはうなぎ上がりに増えております。

これが、普通に考えると摩訶不思議な現象といえます。

 

さて詩人君もこの通信科に入学しました。

詩人君を通して何故通信科で優秀な(彼はまだ優秀かどうか不明)学生が育成できるのかを探索してみたいと思います。

 

通信科卒業生にはもうすでに各地区で活躍している人が大勢いますが、とりあえず23年の経験のある私と一緒に学会の評議員になった人が2名います。評議員一年生の同期生です。

 

どうですか。すごいでしょう。私はいつも卒業生に日本の音楽療法を背負っていく人になって下さいと送っていますが、だんだんそのようになりそうです。

 

学院入試の最後の日に・・・・ガンバレ


その6

詩人君の音楽の腕前は一応ギターと歌という事になっています。

これが問題でした。歌は自分では「好き:嫌い」という見方は出来るの」ですが

「上手い;下手」はなかなか分からないものなのです。

私も長いこと声が良くて歌が上手いと思っていました。高校の時、音楽学校受験のために声楽の先生についた時どうも違うらしいことに気がつきました。

しかも私は歌うことが好きではありませんでした。

詩人君の話とはそれますが、私は本年から「長唄」を習い始めました。

これは気分よくできます。声の出し方はぜんぜん違うのですが楽しいのです。

人間いつどうなるか、分からないものですね。

さて詩人君の歌はとても使いものにはなりませんでした。その上自分で詩も作る

のですが、それがまた驚くほど長いのです。スクーリングの時に授業で自分の

得意音楽を皆の前で演奏しますが、この分けわからない歌にはみんな驚きました。

私は教師として、一体どうしたものかと悩みました。

音楽療法として最初のほうの授業で「他者愛と自己愛」という話をします。まさにその実例でありました。自分の「好きな物は自分を愛する」に繋がります。

これは音楽技術の上でも大切なやり方です。自分を愛する為に詩人君のギターと歌があった訳です。それは詩人君の為にとても有意義でした。

そのことは後になってセッションで対象者との間でとても役には立つことになったのですがまずは「他者愛」の為の音楽修行となりました。

桜が満開になった3月末日に・・・・・


その7

詩人君は上司に恵まれました。個人的に音楽療法をしても良いというお許しを頂いて、詩人君のプライベートな時間を使っていよいよセッションを始めることになりました。

音楽療法は理論があります。理論に裏付けされて、セッションが展開されていくわけです。ところがこの理論というものが、難解でいわば泳ぐのを理論で説明するという按配になります。

そこで、当学院の方針では、理論と平行して、実習をすることにしています。

この方法は、泳ぎをを教える際に突然水の中に放り込むという手法になります。

まあ実習から学ぶということですが。学生としては苦難な道です。

その中で詩人くんは実に勇気と意欲がありました。

 これは、楽譜が読めなければ、ピアノには触らせないという先生の話しを聞いたことがありますが、それにも似ています。

ピアノで「楽しい」を体験してから、お約束事をだんだんやっていった方が弟子の獲得が良いのと一緒です。また音楽を理論する難しさもあります。

 

しかしながら詩人君は「対象者を理解する」という分野では実に良い師匠にめぐり合いました。それが上司であり、施設の入所者様でありました。

これは、学問で知識と理解を、講義と本と教師の話しでするよりどんなにか身をもって分らされたことでしょうか。

スクーリングの学院にて、春なのに夏ような日に


その8

詩人くんは重度の障害を持って居られる方の身体療護施設に就職しました。心優しい詩人君はきっと随分張り切って働き出したとおもいます。

私はそう言うときに若い男性の力強い頼もしさを感じて、「男はスゴイな」と「本気をだすと女はかなわないな」と思います。

ほどなく音楽療法に取り組める事になったと報告してきました。

それは通常の仕事の終了後に行うというものです。

一番始めの初回は殆ど私が組んでやります。多分詩人の場合もそうだったと思います。

私は通信生の指導を一人でします。

学生の置かれている立場を確認します。それから学生の持っている音楽能力を考えます。これは音楽大学をでている人と出ていない人の指導には多少の違いがありますが殆どは音大出身ではない人に多くの時間をかけています。音大出身者は音楽上の心配があまりないので、問題が「療法としてどうなのか」となります。だから初回に多くの指導が要らないのです。特に通信の場合は最初の頃が大変です。

・・今日は新しいセッションが始まった日に・・・・04,5,12


その9

誰でも初舞台というものがあり、そこを通過しなければいけません。

この初舞台は練習に練習を重ねてするものではありません。音楽療法の難しさでもあります。

だから、始めの1歩がなかんか踏み出せない人も多くいます。

この点は度胸があるかないかで,1歩に時間が必要かそうでないかが分かれます。

 詩人君はあまりこだわりません。これは,私も同じです。何か人に対する警戒とか恐怖とか、不安とかがあまりありません。知らない人に会う時楽しみで仕方ありません。

 

これは、だからどうだというと,最初の出だしがやりやすいということだけかもしれません。が,とにかく出発できます。

 

そして詩人君は自分の音楽上の自信と関係なく実習にむけて歩きだすことができました。ちなみにあまり勉強熱心な人も出だしが大変なのです。

 

笑顔も関係します。セールスマンのようですね。(時に思います)

今日から6月です。  雨になり君津の梅が心配です 


その10

音楽療法士の資質の話しですが、「人と音楽が好き」は大前提です。

しかし,実際指導してみるとかなり,様々な問題が起こり、学生は不安に陥ります。人の「役に立つ」時,自分がしっかりしていないと役に立つまでもいかれません。

「こんな自分でよいか?」という大きな疑問にぶち当たります。

「自分が立派だから、人の役に立つ」というのは極く一般的な考えです。

しかしながら、セラピーという基本は「側にいる」ことだそうです。

その考えの上にたてば、「こんな自分でも,側にいるのが,役に立つ」のだというしっかりした、理念を持たないといけません。

 

「何かをしてあげる」のは「やり甲斐も」あります。しかし「しないやり甲斐」もあるのです。というか基本的にはそこから出発するものだと私は考えています。

 

それは「強さ」であり,「優しさ」がないといけません。しかも音楽という能動的な手法が主になっている,音楽療法では、音楽をしてもらわないと困ってしまいます。

少し話しが難しいと思いますが,実際実習が始まってみるとそれはすぐに思い当たることになります。「やらせることが出来ない自分」がいる。

それは,技術の問題もあるのですが、何かがからまわりしていきます。

そこで自分に対しての「不安」が生じてきます。

教師は,技術の指導と共にこのような「不安」を支えます。人の役に立つのはしんどいことです。体験が多くなると、ここの部分が,出来ていきます。

「強さ」と「優しさ」と「辛抱」が財産です。